Jの不思議なダンジョン

ぐちゃぐちゃな頭の中を徒然なるままに言語化していきます

お金と人間の心

最近、石原さとみに新彼氏が出来たということで、メディアでも大きく取り上げられていたが、その中で「結局は金か」という人たちのコメントが多く、それに関して思うことがある。

今回のこと以外でも言えるけど、"お金がある"人たちは、お金の重要性が落ち、会話の中でもお金の話題はほとんど出ない。一方で、"お金がない"人たちにとっては、お金の重要性が自分の意識の中で高まり、しかもそれが日常生活の中での会話やその発言内容として出てくる(そして、嫉妬心を含む発言として出てくる)"お金がある"人にはお金は意識にも上ってこないものであるのに対し、"お金がない"人にはお金への意識が強く、生活の中でお金について考えている割合が高い。この"持つ者""持たざる者"の発言の質はとても大きく、自分たちが経験したことがない感覚ゆえに、"持たざる者""持つ者"の気持ちが本当の意味で理解できず、「結局は金だろ」とか「金が全て」という発言になっているんだろう。偉そうに言ってるけど、自分は"持たざる者""持つ者"をちょっとだけだけど経験したから、両方の気持ちが分かる。自分の話を例に出すと分かりやすいかもしれない。

 

自分は昔にお金で苦労した過去があり、その当時は本当にお金のことばかりを考えていた。いかにお金を稼ぎ出すかもそうだし、お金を持っている人だけでなく、普通に生活をしている人に対しても、嫉妬心が生まれるような生活を送った。その時は、精神的にとても不健全だったと思う。ただ、借金がなくなり、また、お金に余裕が生まれるようになってきてから、自分の中でお金のことをあまり考えなくなった。心に余裕が生まれ、精神的にも健全になったが、支出が比較的かかる東京での生活だったゆえに、お金のことが完全に頭から離れるということはなかった。これは1年ほど前までのことだ。そして、今、自分はインドのバンガロールという都市におり、お金に関して考えないような生活を送っている。年収はそこまで日本人の平均にちょっと毛が生えた程度かと思うが、バンガロールの生活はとにかく物価が安く、お金がほとんど減らない。そして、何よりも精神が健全で、好きなことをやり、好きな人たちと付き合い、自分の好きなように生活している。


お金と人間の心には深い関係性がある。今の時代、お金は自分の満足感を獲得するための媒体として機能しており、多くの人にとってのお金は、安心感や心のゆとりをもたらすものとして機能している。多くの国・地域において、お金"だけ"が満足感を得るための手段として機能している世界のあり方や、自分にとってのお金の存在意義や意見を持っていないことはそもそも問題かと思うが、とにかく、「過ごす場所の選択×自分の満足を満たす必要最低限の要素を認知すること」によって、多くの人の気持ちのゆとりがもっと生まれるんだろうなと思う。そして、その延長線上で嫉妬心なども生まれなくなるんだろうなとか思った。あなたにとっての、心のゆとりはどんな感じでしょうか。少なくとも、自分は心にゆとりがある人に魅力を感じるし、そういう人と付き合いたいし、自分もそうでありたい。環境と自分の努力で心のゆとりは生まれるね。